「中学生棋士」を読んで

自分なりに中学生で棋士となるか否かが分岐点となるのかを、藤井聡太二冠と豊島将之竜王とで考察しようと考えていたが、断念。少なくとも中学生棋士となった5人は例外なく単なる早熟ではない活躍をしていることは確かである。

棋士名        | 生年月日         | プロ入り        | 名人位取得              |竜王位取得 |
---------------------------------------------------------------------------------------
加藤一二三 1940年1月1日 | 14歳7か月     | 42歳@1982年          | なし |
谷川浩司     1962年4月6日 | 14歳8か月     | 21歳2か月@1983年 | 28歳@1990 |
羽生善治     1970年9月27日 | 15歳2か月   | 23歳@1994年          | 19歳2か月@1989 |
渡辺明         1984年4月23日 | 15歳11か月 | 36歳@2020年          | 20歳@2004 |
藤井聡太      2002年7月19日 | 14歳2か月   | 20歳11か月?           | 19歳4か月? |
 

P.31
 幼稚園時代は詰将棋の回答を夢中で考えながら「考えすぎて頭が割れそう」と母・裕子さんに言ったという。幼稚園児にはなんとも似つかわしくない言葉だ。幼いころから考えることが好きで、夢中になりやすい性格だったのだろう。

P.40
 藤井四段のデビュー後の連勝は、奨励会を抜けた精神的な解放感の中でのびのびと指せたという要因がまずあると思う。
 ただ私は、四段昇段後、彼の実力が日を追うごとに急速に上がったともみている。彼がプロになってからの将棋を見ると、一局ごとに着実に強くなっている印象があるからだ。

P.48
 将棋専門誌「将棋世界」二〇一七年六月号には、十四歳の藤井四段が羽生善治三冠と指して勝った非公式戦の「自戦記」が載った。(中略)
 内容は将棋のこととはいえ、十四歳の文章としては構成や表現などがすぐれていたからだ。
 一部を引用してみよう。

 後手(羽生)陣は、三段目に角金銀が5枚ずらりと並んだ不思議な形。データベースで調べたところ、これは公式戦では一度も現れていない。稀に見る珍形といえそうだ。先手の駒損、後手の歩切れということも相まって、形勢判断の難しい将棋になっている。
 先手(藤井)は、攻撃陣を再構築しなくてはならない。相手の守備を攻略するには、急所の角頭を突く必要がある。▲4八金~▲4七銀はその方針に沿った手で、金銀を押し上げて正面突破を狙う。いままでは激しい流れだったので、飛車を渡したときの打ち込みに備えて低い陣形に構えていたが、局面が落ち着いたいまではその必要はない。
 羽生三冠は△7四歩からの歩の入手を図ってきた。1歩交換から△2四歩と打たれては、たちまち後手玉が見えなくなってしまう。ここでは格言通り、▲3五金~▲2四歩と後手の打ちたいところを押さえてしまうのがよい。歩切れは解消されたが、後手陣に大きな楔が入り、このあたりは指しやすさを感じていた。▲5六銀に対し、△5四銀と繰り出してきたのも強気な一着。お互いの銀が中央で対峙し、再び戦闘開始の気配が高まってきたのを感じた。
P.144
 詰将棋作りは、実は将棋の実力向上にはあまり役立たない。
 実際の将棋にはまず登場しない、あっと驚くような妙手の連続を考えるのが詰将棋で、一種の芸術作品を作るような行為であり、だから楽しみがあるのだが、将棋の実力向上には作るよりも解く方がずっといいのだ。

 

 

中学生棋士 (角川新書)

中学生棋士 (角川新書)